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今日5月28日は端午の節

端午の意味

旧暦では午の月は十二支で5月にあたり、この午の月の最初の午の日を節句として祝っていたものが、のちに5が重なるこの月の5日が端午の節句の日になったといいます。

「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことでした。

後に、「午」は「五」に通じることから毎月5日となり、その中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったともいいます。

今日5月28日は旧暦の5月5日に当たりますので、中国では今日が端午の節になります。

風習とその由来

この日を端午とする風習は、3世紀の中国の楚で始まったとされます。

楚の国王の側近であった屈原は人望を集めた政治家でしたが、失脚し失意のうちに川に身を投げることになります。

それを知った楚の国民達は、粽と玉子や果物などを川に投げ込み魚達が屈原の遺体を食べるのを制したのが始まりと言われています。

粽(ちまき)

粽(ちまき)

粽(ちまき)作り

粽(ちまき)作り

ドラゴンレース(龍舟比賽)

ドラゴンレース(龍舟比賽)


詳しくは

端午の節句は「屈原(くつげん)」の話から始まります・・・。

中国の戦国時代というから、今から約2300年前のお話です。

楚(そ)の国の国王の側近に、屈原(くつげん)(前340年頃~前278年頃)という政治家がいました。

詩人でもあった彼は、その正義感と国を思う心は強く人々の信望を集めていました。

しかし、屈原は陰謀によって失脚し、国を追われてしまいます。

その時の想いを歌った長編叙事詩「離騒(りそう)」は中国文学史上、不朽の名作と言われています。

故国の行く末に失望した屈原は、汨羅(べきら)という川に身を投げてしまいました。

楚 の国民達は小舟で川に行き、太鼓を打ってその音で魚をおどし、さらにちまきを投げて「屈原」の死体を魚が食べないようにしました。

その日が中国の年中行事になり、へさきに竜の首飾りをつけた竜船同士が競争する行事が生まれたそうです。

これは、今日のドラゴンレース(龍舟比賽)の始 まりとも言われています。

これがちまき(肉粽=ローツ ォン)の起源です。

このようなエピソードから、毎年命日の5月5日には屈原の供養のために祭が行なわれるようになり、やがて中国全体に広まっていきました。

国と人民に尽くした屈原の政策は、死んだ後もいっそう人々に惜しまれ、多くの粽(ちまき)を川に投げ入れて国の安泰を祈願する風習に変わって行きました。

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