中国 生活ブログ by 【中国遼寧省/瀋陽ガイド】
中国瀋陽東西南北の4つの塔と西塔地区(コリアンタウン)
瀋陽市内には瀋陽故宮を中心として半径約2.5キロ四方に、清朝時代初期である17世紀1643年(清の崇徳8年)に東西南北に4つ建てられたラマ寺と一緒に造られた塔があります。
ラマのお寺が現存するのは北塔だけで、お寺の名は法輪寺といい、このお寺にはたくさん碑があり、一種の碑林となっています。
また碑の中には、漢・満・蒙・回(ウイグル)・蔵(チベット)の五文字で建造の来歴(四塔と四寺)が書かれたものもあり、その中でも必見なのが「黒佛」で、別名「天地佛」「歓喜佛」だといえば分かる方もいらっしゃるかもしれません。
南塔にはお寺が現存しているかのようにも見えますが、残っているのはお寺ではなく道観で、それも女性の道教(正確には坤道)の建物で、一般の方は中には入れません。
東塔は古風な面持ちで、清楚で心が洗われるような不思議な雰囲気ある建物で、西側には川が流れており、時間を忘れさせてくれる独特で風流な雰囲気があります。
西塔は近代的な新しいイメージがあり、既存の塔は一度取り壊され約100年前に再建されました。
西塔付近には、朝鮮族の人々が多く居住する地区で、「西塔(シーター)」が今では朝鮮族の居住区を指す代名詞となっています。
中国には56種の少数民族がおり、その中で朝鮮族は約200万人といわれ、その大半が東北三省(旧満州)に居住しています。
ちなみに一番多い少数民族は、中国南部広西省の 天下の絶景といわれる山水画のような景観で有名な桂林に住むチワン族(1560万人)で、 での次に満州族(990万人)が2位と続き、朝鮮族は13番目となっています。
中国東北地方における朝鮮族の歴史も、過去日本における朝鮮・中国に対する誤った国策の歴史を抜きに語ることはできません。
1910年日本による朝鮮の併合、さらに1932年には満州国を成立すると、朝鮮半島から日本の移民政策もあって、新天地を求めて満州国に渡る朝鮮の方が増えました。
満州全域(中国東北地方)に、様々な職業の朝鮮の人々が拡散居住したとも言われています。
しかし、太平洋戦争における日本の敗北に伴い、満州国の崩壊と朝鮮の解放によって、満州に移住した多くの朝鮮の人々は祖国に戻りましたが、約100万人がその後も中国国内に残留し、この人々が今日の中国朝鮮族の起源となったようです。
朝鮮半島と国境を接する遼寧省の省都である瀋陽は、必然的に現地朝鮮族・在中国韓国人(企業駐在員、留学生等々)や北朝鮮の出稼ぎ部隊などが集まるようになり、今ではこの西塔地区に3万人余りの朝鮮族が居住し、別名「小ソウル」と呼ばれるぐらい賑やかな街となっています。
現在の瀋陽は、外国企業といえば韓国企業が多く、特にこの西塔のコリアンタウンには100社以上の韓国企業が活動し、瀋陽市政府も外資導入の柱として5年以内にロサンゼルスを追い抜き、世界最大のコリアンタウンにする戦略を制定したニュースも流れています。
この西塔地区は、アメリカ・ロサンゼルスのコリアンタウンに次ぐ世界第二のコリアンタウンとして、ここ十数年余りの間瀋陽の経済発展の原動力となっているとも言われています。
コリアンタウンといえば、日本にも東京の大久保、東上野、大阪では鶴橋が有名です。
西塔地区は、平和区・鉄西区・皇姑区が交わるところに位置し、0.99平方㎞の中に総人口約3万人余りがおり、その中の1万人余りが朝鮮族となります。
そしてコリアンタウン・西塔街は、市内にある2つの主要ターミナル駅の間にあり近く、訪れやすい立地です。
西塔の裏通りには、たくさんのコリアン・レストランをはじめ、サウナ、カラオケ店、百貨店などが立ち並んでいます。
西塔の街中には、ハングル文字の看板を多く見る事ができ、中国に居ながらにして韓国・朝鮮の雰囲気が味わえます。