中国 生活ブログ by 【中国遼寧省/瀋陽ガイド】
瀋陽紅梅の味の素
瀋陽市の国有企業「瀋陽紅梅味精」は、1998年1月七つあった関連会社が統合され、「瀋陽紅梅企業集団有限責任会社」を設立しました。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社は、中国国内で最初にできた味の素企業の一つで、中国国内の味の素を生産するリード企業でもあります。
中国発酵工業協会味の素分会理事長単位で、沈陽市八大直属企業集団の一つであり、東北三省ではいちばん大きい調味料生産企業です。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社が生産する紅梅プレートの味の素は、中国国内外の市場に高いシェアを持っています。
その純度は高く、鮮度はよく、クリスタルは潔白であり曇りがない、吸湿性などの特長は有名です。
現在集団には多くの子会社があり、主な製品は味の素、食塩、鶏精、醤油、半酢、陳酢、飼料蛋白添加剤、ビスケット、冷飲と色刷りなど様々な種類があります。
瀋陽紅梅企業集団有限責任会社は1979年、1983年、1988年の3回も中国品質金賞を獲得しました。
また、1988年に同業者の中で一番最初にISO9001の品質体系認証を獲得しました。
1997年4月「紅梅」プレート商標は、国家商工局に「中国商標に名をはせる」と決められました。
遼寧省出身の俳優・コメディアン「趙本山」
趙本山(ジャオ・ベンシャン)、1958年7月19日生まれの、中華人民共和国遼寧省出身の俳優・コメディアンです。
中国・東北部の地方芸能である、二人転と小品の俳優として有名です。
今日、二人転や小品が有名になったのは趙本山の功績が大きいとされています。
趙本山さんは幼くして孤児となり、さまざまな舞台劇を学び演じるなかで、相声の名手・姜昆に見いだされて、1967年の春節聯歓晩会に初出演し、有名になりました。
現在では、小瀋陽など多数の弟子もかかえています。
瀋陽蒸気機関車博物館
瀋陽蒸気機関車博物館の建設場所は、鉄西森林公園の南の地域にあります。
鉄西森林公園は市の西部、重工北路・重工南路と建設西路の交差点の西側に広がる、以前は於洪苗圃と呼ばれた育苗公園でした。
蒸気機関車博物館は、その公園の一番南側にあります。
建設西路の北側から入って少し北へ行くと、左側にその姿を現わします。
瀋陽蒸気機関車博物館は中国国内初の最大の蒸気機関車博物館です。
館内にはアメリカ、日本、ロシア、ベルギー、チェコスロバキア、ポーランド、ルーマニヤ、ドイツ、中国など8ヵ国の退役した全16 台もの蒸気機関車が収蔵されています。
その中の1907 年アメリカ製のDBI型機関車は、最も古い機関車で、日本製の“アジア”号機関車は、この瀋陽蒸気機関車博物館に世界で唯一残されている型式の機関車です。
10月24日追記
現在、瀋陽蒸気機関車博物館は遼寧省瀋陽市山茶街に移転したようです。
中国の三大節句の一つ「中秋節」
中国旧暦の8月15日(今年は10月3日)は、中国の三大節句の一つ「中秋節」です。(残りの2つは旧暦の正月である「春節」と旧暦5月5日の「端午節」です)
月は古来より「家族団欒」を代表してきました。
その月が1年で最も丸く明るく照り輝く日が、旧暦8月15日なので、この日を中秋節として家族団欒を表わす日となりました。
この日は家族が集まり、月を愛でる中国の伝統的な祭日で、全国では国定休暇となりお休みです。
丸い月を団欒の象徴と考え、豊かな収穫を目前にしたこの日に家族が集まり、月餅を食べ幸せで円満な生活を祈ります。
月餅を食べる習慣は、昔の中国・元朝末年に始まりました。
中国・唐代には白居易、杜甫など中秋の名月を詠んだ歌が多く、この頃には中秋の月見が盛んだったことがわかります。
中秋節の由来
昔、昔、そのまた昔、10の太陽が一度に空に現れたことがありました。
大地は荒れ果て、海は干上がり、人々は暮らしを立てることすらできなくなりました。
このころ后 (ゲイ)という勇敢な若者がいました。
その力は万斤の宝の弓を引くことができ、どのように恐ろしい獣でも射ることができたといいます。
彼は人々の苦しむ様子を見て宝の弓と神の矢を持って一気に九つの太陽を射落としました。
最後の太陽は許しを乞い、后 が怒りを静め弓を納めて、太陽に人々のために決まった時間に昇り、沈んでいくことを約束させました。
后の名前は天下にとどろき、人々は彼を敬いました。
その後彼は嫦娥(じょうが)という娘を嫁に娶りました。
嫦娥はとても美しく、そして穏やかで、聡明な女性でした。
二人の仲はむつまじく、幸せに暮らしていました。
とくに嫦娥は心やさしく、常々夫の狩ってきた獲物を皆に分け与えており、人々からの人望も厚いものがありました。
そしてみなは、后 はよい嫁をもらったと噂しておりました。
ある日、狩の途中で后 は一人の年老いた道士に出会いました。
老道士は后 の人となりに感服し、一包みの不老長寿の薬を与えたのでした。
この薬を飲めば不老長寿を得ることができ、天に上り仙人になることができるのです。
しかし后 は妻や自分の周りの人々と離れて、一人天に赴こうとは思いませんでした。
家に帰ると不老長寿の薬を嫦娥に渡し、つづらの中にしまわせたのでした。
このころ后 のもとには、彼の威名を慕って多くの人たちが集まっていました。
その中に蓬蒙(ほうもう)という悪賢い者がおりました。
蓬蒙は不老長寿の薬を奪い、自分で飲んで仙人になろうと考えたのです。
その年の8月15日、后 は弟子たちを連れて狩に出かけていました。
夕暮れ前に蓬蒙はひそかに戻り、嫦娥の部屋に忍び込み不老長寿の薬を渡すよう嫦娥に迫ったのです。
嫦娥はやむにやまれず薬を全部飲んでしいました。
すると彼女の体は突然軽くなり、窓を抜け出し、一直線に空高く舞い上がったのです。
しかし彼女の夫を思う気持ちは強く、地上から一番近い月に彼女は降り立ちました。
后が家に戻ったとき、すでに妻・嫦娥の姿はありませんでした。
侍女の話でようやく后は事の次第を知ったのでした。
急いで外に出て月を見てみると、月はいつもよりも丸く、いつもよりも輝いて見えました。
それは愛する妻が自分を見守ってくれているようでもありました。
彼は覚悟を決めて月を追いかけました。
しかしどうしても月にたどり着くことはできません。
后は妻を思うと心張り裂けんばかりでした。
彼は庭に嫦娥の好きだった果物などをおき、彼女を祭りました。
近くの人たちもそれにならい、果物をのせたテーブルを供え心やさしい嫦娥をしのんだのでした。
次の年の8月15日の夜。
この日も月は特別に丸く、明るく輝いていました。
そして后はこの日も果物をたくさん置いたテーブルを月明かりの元に供えて妻を思ったのです。
それが毎年続き、世間にも伝わり、8月15日が中秋であったことから中秋節としてお祭りするようになったということです。
月の月宮に入った嫦娥ですが、彼女は日々夫を思い、故郷を思いどのようなご馳走も美しい舞も彼女の心を和ませることはできなかったといいます。
毎年8月15日、嫦娥は宮城の門の外に出て、はるか地上の故郷を眺めるのでした。
この彼女の美しいその顔が、月を、さらにさらに輝かせ、さらに丸く見せるのだということです。
中国・建国60周年の建国記念日(国慶節)
今年は中華人民共和国建国60周年の大きな節目の年に当たり、10月1日の建国記念日(国慶節)には例年以上の規模の祝賀イベントが行われています。
現在、国慶節の期間中、北京では盛大な閲兵式や市民によるパレード、大規模な文芸公演などの祝賀行事が開催されています。
国慶節期間中に、瀋陽でも各祝賀行事が順調に行われるよう全力をあげて取り組んでいます。
瀋陽の太清宮
中国には現在は老子に関係する記念物が多いが、その中でも重要なものは老子を祀る太清宮(たいせいきゅう)です。
瀋陽・太清宮は1663年に建築されたゆかりある道教のお宮です。
場所は、中街小西門からバス(338、224、227番線等)で北に一駅の所にあり、中街小西門から歩いても5分程度で、瀋陽の大手スーパー楽購(中街店)の対面にあります。
建築物は趣があり、太清宮内の道士達は白い衣服を着ています。ちなみに道士にお願いすれば「八易占い」もしてくれます。
お堂には厄払いの神として関帝聖君(三国志に出てくる「関羽雲長」)も祭られてます。
太清宮には、その他縁起のよい品々も販売されているので、ぜひのぞいてみてください。
瀋陽オリンピック・スポーツセンター・スタジアム
瀋陽オリンピック・スポーツセンター・スタジアムは、中国遼寧省瀋陽にある6万人を収容できる競技場です。
2008年北京オリンピックのサッカー競技(グループリーグ)で使用されました。
また表記として瀋陽オリンピックスタジアム、瀋陽五輪スタジアム、瀋陽オリンピック体育中心、瀋陽五輪体育場、瀋陽奥体中心ともかかれています。
外観は乳白色で正面と裏側にオリーブ型の採光性の大屋根が3枚ずつあり、楕円形の外観は水晶の王冠のように見えます。
総工費は約19億7,000万元(日本円で約300億円)です。
設計は日本の佐藤総合計画が行い、「翼と丘」「天空と大地」「ガラスの王冠」がテーマです。
スポーツセンター全体の敷地面積は43万平方メートルあり、総合体育館(1万人収容)、水泳場(4000人収容)、テニス場(4000人収容)などがあり、総建物面積は26万平方メートルあります。
周囲には体育センターを中心とした大型複合ショッピングモールや映画館、ホテル、高層ビルなどの建設予定があります。
街の自転車修理屋さん
瀋陽では、庶民の移動手段として自転車が愛用されています。
瀋陽市内では、ガソリンバイクが通行禁止されているので、日本のようにスクーターを利用する人は見かけませが、電動自転車を利用する人は多く見かけます。
しかし、瀋陽には自転車を修理するお店を見かけません。少なくとも、当社関係者は見たことがありません。
そのため自転車修理には、きまって写真のような屋台を利用することになります。
この屋台の自転車修理は、路上の至る所に存在しています。
値段は比較的安く、普通の自転車のパンクのチューブ修理は3元(日本円で約45円位)で、電動自転車のパンクのチューブ修理だと5元(日本円で約75円位)で修理してくれます。
瀋陽にある東北大学
東北大学(とうほくだいがく、Northeastern University、略称NEU)は、中華人民共和国遼寧省の省都瀋陽にある国立大学であり、国家重点大学に指定されています。
東北大学は1923年に創立され、当時の中国北東部における最高の学術拠点となりました。
1928年、「千古の功臣」と呼ばれた張学良・東北3省のリーダーが学長を兼任した後、多くの資金を投入して数人の有識者を教授として迎えいれました。
これをきっかけとして学生・教授ともに充実し、東北大学は3000人を越える学生と100人以上の教授からなる一流の大学として認識されることとなりました。
9月22日は「世界の車のない日」
9月22日は「世界の車のない日」です。
「世界の車のない日」は、1997年フランス北西の町ラ・ロシェルで行われた「車のない日」が発端です。
マイカーの代わりに公共交通機関や自転車・徒歩で移動し、都市生活を見直しを呼びかけるキャンペーンとして始まりました。
中国の北京市は去年から9月10日と9月22日を「車のない日」に指定しました。
この日1日は、「公共交通手段を利用してもらいたい」と述べ、市民に積極的な参加を呼びかけました。
瀋陽市も昨年から「車のない日」キャンペーンを実施しています。
この日は自動車中心の交通文化による大気汚染、交通混雑、エネルギー問題の深刻性を共有しながら、乗用車の利用を減らして、きれいな瀋陽の空を作るための、市民実践の日となっています。
今年からは、中国の南方地方にもこの「世界の車のない日」のイベントは拡大されました。
日本は、トヨタやホンダや日産等世界に誇る自動車大国です。
日本でも、ハイブリッドカーや電気自動車等の環境等に配慮した活動が盛んに行われていますが、この様な国や地域でのイベントはあまり聞いたことがありません。
日本でも、この様なイベントを国や地域が積極的に推進すべきではないでしょうか。