中国 生活ブログ by 【中国遼寧省/瀋陽ガイド】
中国瀋陽の健康ランドのような大型のお風呂屋さん
中国瀋陽には、数多くの健康ランドのような大型のお風呂屋さんがあります。
中国瀋陽の冬は、氷点下の日が続くのでこの様なお風呂をよく利用します。
夏も汗を流しゆっくりとマッサージを受けたりしながらくつろぐ事ができます。
これらの大型のお風呂屋さんは、大浴場はもちろんの事、垢すりやサウナもあります。
お風呂では、シャンプーやリンスや石けん等も揃っていますし、ハンドタオルやバスタオルも貸してもらえます。
垢すりは通常の垢すりの他、ミルクマッサージや頭皮マッサージなど様々なマッサージなども受ける事ができます。
大浴場でゆっくり入浴・サウナ・マッサージをした後は、別フロアに行くと大型のソファーでゆっくりとくつろげる場所や様々なイベントを行うイベントスペースなどもあり、ゆっくりとくつろぐ事ができます。
大型のソファーでゆっくりとくつろぎながら、ここでも全身マッサージや足マッサージや足修理を受ける事ができます。
足修理は、専門の方が専用の道具で足の爪の手入れや踵(かかと)や足の裏の硬くなっている角質などを落としてくれます。
このくつろぎの場所で、マッサージ等を受けながら朝まで眠って行く方も多くいます。
これら大型のお風呂屋さんの入場料は、約30元~40元くらいです。
垢すりやマッサージ等の各サービスも、それぞれ1時間約30元~40元くらいで受ける事ができます。(お店により価格や時間は違います)
専門のマッサージ店に勝るとも劣らぬ技術とサービスで、十分満足できる内容です。
瀋陽に旅行に行く方は、旅の疲れを癒すのに是非とも足を運んでみて下さい。
当社の瀋陽旅行ガイドでも、当社が作成する予定表に入れる事が多く、お客様は皆様大変満足されております。
3月12日は中国の植樹デー
3月12日は中国の植樹デーで、記念日として最初に制定されたのは中華民国時代の1915年です。
植樹の活動を通じて、森林保全、森林資源の拡大、生態環境の改善を目的とし、人々に森林の有用性の意識を促進します。
この日は、国民に呼びかけて木を植えるため制定しました。
また、3月12日は孫文の記念日でもあります。
孫文は林業の建設を十分に重視しましたが、1925年3月、孫文は南京で逝去しました。
1979年2月23日、第5回全国人民代表大会第6回会議常任委員会は3月12日を中国の植樹デーにしました。
全国の人々に中国の環境を守るため、将来のため、植樹するように励んでいます。
植樹節前後、中国の各地で集中的に植樹造林の活動を行うことにしました。
毎年植樹デーのテーマも違います。
去年のテーマは森林と都市の融合で、都市と森林が融合できるようにというテーマでした。
今年のテーマは、木と一緒にです。
1981年12月以来、中国国民の義務植樹により350億株以上の樹木が植え付けられました。
中国政府は今「三北」(華北、東北、西北地域)と長江中下流域の保安林建設や過度開発された耕地の林地と草地への返還、野生動物植物の保護と自然保護区建設、天然林の保全など六つの大規模な林業建設プロジェクトを実施中です。
2000年末、中国の森林被覆率は16.55%に、都市部一人当たりの公共緑地は6.52平方メートルに高められ、全国自然保護区も延べ1億ヘクタールを超えました。
3月8日は国際労働婦人節です。
3月8日は「国際労働婦人節」です。
1909年3月8日アメリカのシカゴの女性労働者たちは、自由と平等や一日8時間労働制、賃金の引き上げなど、政治と経済の権利を求めるため、大規模なストライキとデモを敢行し、世界の女性労働者たちから大きな反響と支持を得ました。
1910年8月第二回国際社会主義女性代表大会で決議が可決して毎年3月8日は「国際労働婦人節」と決まりました。
1977年の第32回国連総会では、3月8日を「国連女性権益と国際平和の日」と正式に決定しました。
中華人民共和国成立後、中央人民政府政務院は1949年12月に毎年3月8日を中国の「婦人デー」と決定しました。
新中国の成立で徹底的な解放を獲得した中国の女性たちは、国や社会の事務に平等に取り組むことができるようになり、中国の国の建設や社会の発展に大きな貢献をしました。
「国際労働婦人節」は中国では「三八婦人節」や「婦女節」や「三八節」といい、18歳以上の女性の祝日となっています。
この「婦女節(三八節)」の日は、女性労働者は半日休みとなります。
3月5日は中国人民解放軍模範兵士「雷鋒」に学ぶ日
「雷鋒(らいほう、1940年12月18日 - 1962年8月15日)」は、中国人民解放軍における模範兵士とされる人物です。
「雷鋒」は湖南省長沙出身で、児童団や少年先鋒隊に入り活動。
1957年には中国共産主義青年団に入り、中国各地の農場や工場で作業するなどの奉仕活動を続けます。
1960年人民解放軍に入隊し、輸送隊に配属されました。
1962年8月15日、遼寧省撫順で殉職しました。
死因は電柱を輸送中のトラックを立て直す作業中、頭を強く打ち享年22歳で死亡しました。
「雷鋒」死後、毛沢東などの共産党指導者の言葉を引用した日記が「発見」され、彼は軍人の思想的モデルとして大きく取り上げられるようになりました。
1963年3月5日に毛沢東によって、「向雷鋒同志学習(雷鋒同志に学ぼう)」運動が始まりました。
このスローガンは文化大革命中、各種新聞や学校の教科書で盛んに用いられ、彼は模範兵士として、また無私の象徴として祭り上げられました。
その後も、今日に至るまで政府のキャンペーンで何度も用いられており、3月5日は「雷鋒に学ぶ日」として学生たちが公園や街路などの掃除をする日となっています。
また出身地の長沙と殉職地の撫順では「雷鋒紀念館」が開設されています。
瀋陽の地下鉄の運賃法案が制定しました。
瀋陽の市民が注目する地下鉄は、今年2010年10月31日に運営が開始する可能性が高いようです。
運賃の最低価格は2元を予定しており、8キロメートルを超えるごとに1元増加するようです。
地下鉄の運行時間は、始発電車が5時頃から運行し、最終電車は22時頃に予定されています。
これは、中国瀋陽の街が朝早くから動き出し、夜は早い時間に街が静まる瀋陽の街の情勢が伺えます。
瀋陽市第十四期人民代表大会第三回会議で、瀋陽地下鉄集団有限公司の理事長が記者に重要なメッセージを伝えました。
瀋陽の地下鉄は都市公共交通の重要な一部として、合理的な切符価格を制定するのが乗客と都市の発展に対して重要な意味と深い影響があるとしています。
瀋陽の地下鉄運賃が公益定価の原則を主張して、地下鉄は公共事業なので、住民の利害を考え運賃の価格が高くなく、また地下鉄自体の運営コストの投入も考えなければならず、瀋陽の地下鉄の運賃の方案を引き出すためによりよいコストの計算をしています。
総合的に公益サービスの範疇、消費レベルなどたくさんの問題を考え、瀋陽地下鉄管理部門が運賃の方案を制定しました。
当方案は、意見を収集した後、対外的に実行するようになります。
瀋陽の地下鉄の運賃は、乗車駅から8キロメートル圏内であれば運賃は2元で、その後8キロメートルを超えるごとに1元ずつ増加します。
瀋陽の地下鉄一号線の全行程は、約22キロメートルですので最高運賃は4元となり、2元3元4元の3通りの運賃設定となります。
更に、市民が便利に乗用することができるように、瀋城の地下鉄は定期券及び老人、障害者、児童などに特恵の切符を出すようです。
旧暦一月十五日は中国の「元宵節」
「元宵節」は中国の伝統的な祭日で、お正月の望の日(満月の日、旧暦一月十五日で日本でいうところの小正月にあたる)を祝う中国での習慣です。
今年、2010年の「元宵節」は、新暦でいうと2月28日にあたります。
お正月は元月とも言われ、元月の最初の宵(夜)なので「元宵節」と命名されました。
他にも「元節」や「提灯祭り」とも言います。
過年は「元宵節」を迎えて春節が終了する重要な一日となっています。
この春節後の最初の満月の夜に灯籠を飾って見物して、一家団欒をして共に祭日を祝います。
「元宵節」の夜に、灯篭を飾って見物するので、この日を「灯節(灯篭祭)」とも称されています。
「元宵節」には長い歴史があり、この日の夜はどの家の門の前にも灯篭が掛けられています。
この「元宵節」のお祭りについては、ある伝説が言い伝えられています。
紀元前180年西漢の時代の皇帝漢文帝は、正月の15日に皇帝の座に上りました。
この行事を祝賀するため、漢文帝はこの日を提灯祭りにしました。
毎年この日の夜、漢文帝は宮殿を出て、庶民達と一緒に楽しく祝い、どの家も様々な形の灯篭をかけて楽しく祭日を過しました。
その後紀元前104年頃から「元宵節」は国の盛大な祭りとなり、今日まで伝わってきました。
「元宵団子」は中国三大祭りの食品の一つで「湯円」とも呼ばれていて、「元宵節」にはあんが入ったお団子・元宵を食べる習慣があります。
宋の時代(およそ紀元960年から1279年の間)、民間では元宵が流行し始め、この元宵にもち米にさんざしやごま、小豆、なつめなどで作ったあんを入れて作られた美味しいお菓子を食べます。
現在では「元宵節」に灯篭を飾って見物したり元宵を食べたりするほか、多くの祝いイベントも催され、集団舞踊の龍が舞いや獅子踊りなども披露されます。
瀋陽の幻想的な綺麗な霧氷の世界
2月25日の朝、目を開けて新しい日を迎えました。
窓の外から強い光が窓を通して部屋に入ってきました。
窓を開けて外を見ると、水晶のようなまばゆい世界が目の前に現れました。
前日の夜に雹のような大粒の雨が降ったため、木の枝、軒先、屋上など全てキラキラと霧氷を形成しました。
童話の世界に入ったような水晶の街・・・この綺麗な景色をゆっくりと楽しみました。
霧氷(むひょう)は氷点下の環境で、空気中の過冷却水滴や水蒸気が樹木やその他の物に衝突して凍結もしくは昇華することでできる、白色~無色透明の氷層の総称の事をいいます。
自然現象の着氷現象の事です。
瀋陽の「30分交通圏」攻略
瀋陽の街の急速な経済発展により、都市の規模が持続的かつ急激に拡大しています。
それに伴い自動車の数も大幅に増加しているため、道路の通行難やバスやタクシーの乗車難や駐車スペース確保の駐車難などの気配が日一日著しく現れていきます。
瀋陽市内の都市交通事情が、厳しいプレッシャーと新たなチャレンジに臨んでいる状況です。
系统的なネットワ—クの上で、総合的に道路交通規則の問題を研究し、科学的な解決法案を制定する事こそ、有効的な交通需給の矛盾を改善することができます。
瀋陽の街の企画を編成する国土資源局の「瀋陽総合交通企画」により、将来的な瀋陽の街の道路ネットワークシステムを設立した後、市内のどこでも30分以内に都市部に入れるシステムを構築中です。
中国の旧正月「春節」の花火や爆竹
今年の2月14日は、中国の旧正月「春節」ですが、春節の期間は街中で爆竹や花火がそこら中で鳴り響いています。
朝も昼も夜も深夜も関係なく、いつでもどこでも「パンパン!・バンバン!」鳴り響いています。
中国の旧正月「春節」に花火や爆竹を打ち鳴らすのは、色々と諸説ありますがその中で1年に一回街や村から鬼や邪気や猛獣(虎など)を追い払い、街や村に近づかないようにするためという説があります。
爆竹や花火を打ち鳴らしてよい期間は、中国の旧正月「春節」の1週間前の「小正月・少年」から中国の旧正月「春節」の15日後の「元宵節」の日までとされています。
2010年の今年に当てはめると、2月6日が「小正月・少年」で2月14日が中国の旧正月「春節」で、そこから数えて15日後の2月28日が「元宵節」です。
基本的にこの期間以外だと、結婚式やお店の開店等のお祝い事の時以外で爆竹や花火を打ち鳴らすのは禁止されています。
この「春節期間」は、街中に爆竹や花火を売るお店があふれています。
私たちも、爆竹と花火を打ち鳴らしてみました。
今回打ち鳴らしてみた爆竹は、中国で一般的な爆竹です。
打ち鳴らしてみた爆竹の動画を撮影しました。ちょっとだけ迫力等をご覧下さい。
今年の2月14日は、中国の旧正月(春節)です。
中国では現在も新暦の1月1日のお正月よりも、旧暦のお正月を正規のお正月として盛大にお祝いします。
今年2010年の旧暦のお正月は、バレンタインデーである2月14日にあたります。
そのため2月13日が大晦日で、2月14日がお正月で15日16日まで三箇日と同じ感じになります。
この旧暦のお正月のことを中国では「春節(チュンヂェ)」といいます。
公共機関やお店などは、だいたい2月13日から2月18日まで春節休み(正月休み)となります。
中国では新暦の1月1日から1月3日までは、通常の祝日と同じ感じのただの休日として扱われるので、盛大に新年のお祝いはせず、この旧正月である「春節」に花火を打ち上げたり、爆竹を鳴らしたり餃子などを作ったりして盛大にお祝いします。
大量に作るお正月の餃子には、中に飴入りを一つと小銭(1元玉)などを一つ入れ、飴入りが当たった人はその年は甘い生活ができ、小銭などが当たった人はその年はお金に不自由しないなどの縁起担ぎなどもあります。
中国では北京ダックなどに代表されるように、鶏肉を使った料理が多くありますが、春節の大晦日とお正月の二日間は鶏肉を食べません。
「鶏」は中国語で「ジィ(jī)」と言いますが、この「ジィ(jī)」という発音が、「いらだつ」や「怒る・かっとなる」という意味の言葉「急眼ジィイェン(jí yǎn)」の「ジィ」と似ているため、おめでたい日である春節の大晦日と正月には鶏肉は食べません。
中国の家の玄関に、よく「福」などの飾りが付いているのを見たことがある人も多いと思いますが、これを「福来(フゥラィ)」といい日本の正月飾り(しめ飾り・注連飾り)と同じように「春節」の大晦日に飾り付けをして、そのまま翌年の「春節」まで付けたままにします。
中国の旧正月では、亡くなった先祖にお金を送るため「焼明紙(シャォミンズゥ)」という儀式をします。
「焼明紙(シャォミンズゥ)」とは、「明紙(ミンズゥ)」という黄色い紙をお金に見立てて、その黄色い紙の「明紙(ミンズゥ)」を燃やして亡くなった先祖に届ける儀式です。