中国 生活ブログ by 【中国遼寧省/瀋陽ガイド】
農暦9月9日は中国の重陽節
本日西暦10月26日は、農暦で9月9日です。
農暦の9月9日は、中国の重陽節です。
中国の古典「易経」では、九という数字が陽の数とされ、九が二つ重なるので「重九」や「重陽」と名づけられました。
「茱萸(グミ)節」とも称されるこの祭日は、中国古代の戦国の時代(紀元前475年―紀元前221年)にすでに風習として定着し、漢朝(紀元前206年―紀元220年)から盛んになりました。
中国で重陽が正式な節句として認められたのは漢時代です。
劉歆による『西京雑記』に、高祖(劉邦)の愛妾であった戚夫人が殺害された後宮廷より放逐された侍女の賈佩蘭が、9月9日に宮廷で茱萸(グミ)を肘に下げ、菊酒を飲み長寿を祈る習慣があったことを人々に話したことにより、民間でも祝われるようになったとあります。
唐時代の重陽は、2日或いは3日間にわたって祝われていました。
これは李白の『九月十日即事』からも、うかがい知る事が出来ます。
現在重陽節の間、山を登ったり、菊の花を観賞したり、重陽の蒸し菓子を食べたり、茱萸を着けたりして無事を祈ります。
重陽節は敬老の日でもあり、中国各地でお年寄りを見舞うさまざまな行事が行われています。
中国の三大節句の一つ「中秋節」
中国旧暦の8月15日(今年は10月3日)は、中国の三大節句の一つ「中秋節」です。(残りの2つは旧暦の正月である「春節」と旧暦5月5日の「端午節」です)
月は古来より「家族団欒」を代表してきました。
その月が1年で最も丸く明るく照り輝く日が、旧暦8月15日なので、この日を中秋節として家族団欒を表わす日となりました。
この日は家族が集まり、月を愛でる中国の伝統的な祭日で、全国では国定休暇となりお休みです。
丸い月を団欒の象徴と考え、豊かな収穫を目前にしたこの日に家族が集まり、月餅を食べ幸せで円満な生活を祈ります。
月餅を食べる習慣は、昔の中国・元朝末年に始まりました。
中国・唐代には白居易、杜甫など中秋の名月を詠んだ歌が多く、この頃には中秋の月見が盛んだったことがわかります。
中秋節の由来
昔、昔、そのまた昔、10の太陽が一度に空に現れたことがありました。
大地は荒れ果て、海は干上がり、人々は暮らしを立てることすらできなくなりました。
このころ后 (ゲイ)という勇敢な若者がいました。
その力は万斤の宝の弓を引くことができ、どのように恐ろしい獣でも射ることができたといいます。
彼は人々の苦しむ様子を見て宝の弓と神の矢を持って一気に九つの太陽を射落としました。
最後の太陽は許しを乞い、后 が怒りを静め弓を納めて、太陽に人々のために決まった時間に昇り、沈んでいくことを約束させました。
后の名前は天下にとどろき、人々は彼を敬いました。
その後彼は嫦娥(じょうが)という娘を嫁に娶りました。
嫦娥はとても美しく、そして穏やかで、聡明な女性でした。
二人の仲はむつまじく、幸せに暮らしていました。
とくに嫦娥は心やさしく、常々夫の狩ってきた獲物を皆に分け与えており、人々からの人望も厚いものがありました。
そしてみなは、后 はよい嫁をもらったと噂しておりました。
ある日、狩の途中で后 は一人の年老いた道士に出会いました。
老道士は后 の人となりに感服し、一包みの不老長寿の薬を与えたのでした。
この薬を飲めば不老長寿を得ることができ、天に上り仙人になることができるのです。
しかし后 は妻や自分の周りの人々と離れて、一人天に赴こうとは思いませんでした。
家に帰ると不老長寿の薬を嫦娥に渡し、つづらの中にしまわせたのでした。
このころ后 のもとには、彼の威名を慕って多くの人たちが集まっていました。
その中に蓬蒙(ほうもう)という悪賢い者がおりました。
蓬蒙は不老長寿の薬を奪い、自分で飲んで仙人になろうと考えたのです。
その年の8月15日、后 は弟子たちを連れて狩に出かけていました。
夕暮れ前に蓬蒙はひそかに戻り、嫦娥の部屋に忍び込み不老長寿の薬を渡すよう嫦娥に迫ったのです。
嫦娥はやむにやまれず薬を全部飲んでしいました。
すると彼女の体は突然軽くなり、窓を抜け出し、一直線に空高く舞い上がったのです。
しかし彼女の夫を思う気持ちは強く、地上から一番近い月に彼女は降り立ちました。
后が家に戻ったとき、すでに妻・嫦娥の姿はありませんでした。
侍女の話でようやく后は事の次第を知ったのでした。
急いで外に出て月を見てみると、月はいつもよりも丸く、いつもよりも輝いて見えました。
それは愛する妻が自分を見守ってくれているようでもありました。
彼は覚悟を決めて月を追いかけました。
しかしどうしても月にたどり着くことはできません。
后は妻を思うと心張り裂けんばかりでした。
彼は庭に嫦娥の好きだった果物などをおき、彼女を祭りました。
近くの人たちもそれにならい、果物をのせたテーブルを供え心やさしい嫦娥をしのんだのでした。
次の年の8月15日の夜。
この日も月は特別に丸く、明るく輝いていました。
そして后はこの日も果物をたくさん置いたテーブルを月明かりの元に供えて妻を思ったのです。
それが毎年続き、世間にも伝わり、8月15日が中秋であったことから中秋節としてお祭りするようになったということです。
月の月宮に入った嫦娥ですが、彼女は日々夫を思い、故郷を思いどのようなご馳走も美しい舞も彼女の心を和ませることはできなかったといいます。
毎年8月15日、嫦娥は宮城の門の外に出て、はるか地上の故郷を眺めるのでした。
この彼女の美しいその顔が、月を、さらにさらに輝かせ、さらに丸く見せるのだということです。
中国・建国60周年の建国記念日(国慶節)
今年は中華人民共和国建国60周年の大きな節目の年に当たり、10月1日の建国記念日(国慶節)には例年以上の規模の祝賀イベントが行われています。
現在、国慶節の期間中、北京では盛大な閲兵式や市民によるパレード、大規模な文芸公演などの祝賀行事が開催されています。
国慶節期間中に、瀋陽でも各祝賀行事が順調に行われるよう全力をあげて取り組んでいます。
9月22日は「世界の車のない日」
9月22日は「世界の車のない日」です。
「世界の車のない日」は、1997年フランス北西の町ラ・ロシェルで行われた「車のない日」が発端です。
マイカーの代わりに公共交通機関や自転車・徒歩で移動し、都市生活を見直しを呼びかけるキャンペーンとして始まりました。
中国の北京市は去年から9月10日と9月22日を「車のない日」に指定しました。
この日1日は、「公共交通手段を利用してもらいたい」と述べ、市民に積極的な参加を呼びかけました。
瀋陽市も昨年から「車のない日」キャンペーンを実施しています。
この日は自動車中心の交通文化による大気汚染、交通混雑、エネルギー問題の深刻性を共有しながら、乗用車の利用を減らして、きれいな瀋陽の空を作るための、市民実践の日となっています。
今年からは、中国の南方地方にもこの「世界の車のない日」のイベントは拡大されました。
日本は、トヨタやホンダや日産等世界に誇る自動車大国です。
日本でも、ハイブリッドカーや電気自動車等の環境等に配慮した活動が盛んに行われていますが、この様な国や地域でのイベントはあまり聞いたことがありません。
日本でも、この様なイベントを国や地域が積極的に推進すべきではないでしょうか。
9月20日は、中国の「全国愛歯の日」。
9月20日の愛歯の日は、中国ではみんなが歯に関心を持ちます。
歯の健康のため、1989年に国家衛生部、全国愛衛会、国家教育委員会、全国総労働会、全国婦女聯合会、中央共産主義青年団、文化部、テレビ放送局、全国高齢委員会などの九つの部門が合同で「毎年9月20日は全国愛歯の日」に署名しました。
歯の健康は、歯牙喪失の予防と咀嚼機能の維持という目標と、その行動を通じて食べる機能を確保し、「栄養・食生活」とともに健康寿命の延伸に寄与します。
今年の全国愛歯の日の愛歯アピールは「口腔健康を守ろう、生命質量を高めよう。」となっています。
瀋陽の【九・一八】事変78周年記念活動
9月18日は”九・一八”事変(満州事変)の78周年の記念日です。
中国各地の住民はさまざまな方式で記念活動を行い、”歴史を深く心に刻み、国恥を忘れず”の意思を表しました。
当日、中国東北部の遼寧省、黒龍江省と吉林省では、それぞれ犠牲者の慰霊式を行い、”九・一八”事変を記念しています。
毎年、午後9時18分に”九・一八”事変の発生地である遼寧省の沈陽市を含む中国の多くの都市は、次々と三分間警報を鳴らし、国恥を忘れず、平和な時でも戦争の悲惨さを忘れないよう国民に呼びかけます。
この活動は、瀋陽市では1995年から毎年行われています。
今年は、国内の100以上の都市で同時に実施し、夜にサイレンを鳴らして、国辱を忘れない意思を示します。
中国の9月10日は「教師の日」
中国では、毎年9月10日が「教師の日」となっており、教育者の労をねぎらう行事などが各学校で行われています。
中国政府は教師の社会的地位と生活レベルの向上に力を入れており、1985年に、毎年のこの日を「教師の日」と定めました。
特定の職業にたずさわる者のために祝日を設けたことは、この「教師の日」初めてです。
「教師の日」には、子どもたちが担任の教師らに花などを贈り感謝の意を表します。
また、生徒が教師に対して感謝と尊敬を示す日でもあります。
中国・七夕…伝説
今年の8月26日は旧暦の7月7日に当たりますので、中国では七夕の行事が行われます。
七夕の行事は、8世紀頃ごろに中国から日本へ伝えられました。
日本では、この日子供達が短冊にお願い事を書いて竹につるします。
しかし、中国では短冊にお願い事を書いて竹につるす事はしません。
中国七夕伝説物語
昔ある所に、貧しい牛飼いの若者が居ました。
若者は兄の家で暮らしていましたが、ある日家から追い出されてしまいました。
若者は牛と一緒に暮らしはじめました。
そして毎日とても丁寧に牛の世話をしてやりました。
ある時牛がこう言いました。 『明日、湖で天女たちが水浴びをします。天女の服が置いてあるので、その服の中から赤い服を持って隠れていなさい。その服の持ち主があなたのお嫁さんになる人です。』
次の日若者が湖へ行ってみると、牛が言っていたとおり天女たちが水浴びをしていました。
若者は言われたとおり、赤い服を持って隠れていました。
しばらくすると、天女たちが湖から上がってきましたが、一人の天女が服がなくて困っていました。
その時、『あなたの服ならここにあります。』と言って若者が姿を現しました。
その天女の名前は織姫と言いました。織姫は天の神様の孫でした。
二人はすぐに仲良くなりました。若者は織姫に、『人間の世界に残ってわたしと結婚してください。』と言いました。
二人は結婚して幸せに暮らし初めました。毎日が楽しくてなりませんでした。かわいい男の子と女の子も生まれました。
ある日牛は若者に言いました。『わたしは死んだら、わたしの皮をとっておきなさい。そして困ったことがあったら、その皮を体にかけなさい。』そう言い残して牛は死んでしまいました。
その頃天の国では、神様が織姫を探していました。
織姫が人間の世界から帰って来ないので、神様はとても怒っていたのです。
そして二人が一緒に暮らしているのを知って連れ戻しに来ました。
神様は織姫を連れて、天に昇っていました。
その時若者は、牛が言ったことを思い出して、牛の皮を自分の肩にかけました。
牛の皮を着たとたんに、若者の体は天に舞い上がりました。
若者は一所懸命織姫を追いかけました。そしてもう少しで追いつきそうになりました。
しかし神様が大きく腕を振ると、若者の目の前に大きな天の川が現れました。
若者と織姫は、天の川を挟んで離れ離れになってしまったのです。
織姫は悲しくて悲しくて、毎日泣いてばかりいました。
そして毎日若者に会いたがっていました。
神様はそんな織姫の姿を見るとかわいそうでなりません。
そこで年に一回、7月7日だけ二人が会うことを許してやりました。
7月7日になると、たくさんのカササギが天の川に橋をかけます。
この橋の上で、若者と織姫は1年に1回だけ会うことができるようになりました。
そのため、この日だけは人間の世界からカササギがいなくなるということです。
8月1日は中国の建軍節
毎年8月1日は、中国人民解放軍が軍隊を創設する記念日です。
建軍節は、中国国内の民主主義革命時代に勃発した中国共産党者が指導した「南昌蜂起」に由来します。
1927年8月1日に勃発した「南昌蜂起」は、中国共産党が武力で当時の国民党反動派に反抗する最初の戦いであり、中国共産党が独立して武装革命をリードした最初の幕開けと、中国の新しい人民軍隊誕生のシンボルとされてきました。
1933年7月に当時の「中華ソビエト共和国暫定中央政府」は、8月1日を中国工農紅軍(中国人民解放軍の前身)の成立記念日と決定してから、8月1日が中国人民解放軍の建軍節されました。
2009年8月1日、中国人民解放軍は健軍82周年を迎えました。
建軍節の間は、中国各地で種々の行事を集中して行い、中国人民解放軍の誕生を祝います。
2009年雪花ビール馳走の日
「2009年雪花ビール馳走の日」と言う活動は、瀋陽経済技術開発区で1週間お祭りをやっています。
お勧め飲み物は勿論~美味しい雪花ビールです。
出店がたくさん出て、全国各地の色々な料理があります。
しかし当日は、あまり天気がよくなかった為、参加者は少なめでした。
今はまだ、瀋陽は梅雨の時期です。
もう少しすると、冷たいビールが美味しい季節がやってきますね。