撫順戦犯管理所旧址(むじゅんせんはんかんりしょきゅうあと)
「撫順戦犯管理所」は1936年に、日本軍が中国抗日人員を収監するために建てられました。
当時の名前は「撫順監獄」です。
1945年、中国国民党が「遼寧第四監獄」と改名し、1948年に撫順が解放され再度「遼寧省第三監獄」に改名されました。
中華人民共和国が成立されて、毛沢東と周恩来の指示により、1950年6月に当時中国の財政がかなり厳しい状況にある中で、366万元をかけて管理所の古い建物を修繕し、管理所の中にクラブや体育館や露天舞台等を増設し、「撫順戦犯管理所」に改名しました。
1950年から70年代までの期間は、投獄、教育した日本の戦犯が982人、満州国戦犯71人おり、その中に清朝のラストエンペラーである愛新覚羅溥儀も含まれています。
現在、館内には当時の800枚以上の写真や500以上の現物、特に愛新覚羅溥儀に関する物が80個ほど展示されています。
1986年に、海外と中国国内の各界関係者の要求に応じ、正式にオープンされ、1999年と2010年に二回修繕されました。
2006年には、国務院の重要保護文化財に指定されました。
現在の名称は「撫順戦犯管理所旧址」です。
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